2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧

無条件降伏要求についての同時代人所見【4】

無条件降伏要求に関して、当事者としての回想を主に取り上げてきたが、今回は、歴史家としての視点から、この問題について取り扱っているものを取り上げたい。既に何回か、このブログにも登場しているリデル・ハートの代表作『第二次世界大戦』からの引用で…

無条件降伏要求についての同時代人所見【3】

前二回は連合国側の要人の回顧録であったが、今回は枢軸国側の人物がどう感じていたかについて取り上げたい。今回、取り上げるのは、ドイツ国防軍のハインツ・グデーリアン上級大将の回想録である。グデーリアン将軍に対しては、多くを語る必要はないと思わ…

無条件降伏要求についての同時代人所見【2】

前回に引き続き連合国側の主要人物の回顧録から無条件降伏要求に関する所見を確認してみることにする。今回は第二次世界大戦中の大部分において英国首相をつとめたウィンストン・チャーチルの回顧録を取り上げることにする。 以下の引用文は対日戦における最…

無条件降伏要求についての同時代人所見【1】

第二次世界大戦において連合国側から枢軸国に対して発せられた無条件降伏要求について、あまり日本国内の一般向けの書籍で批判されている例を見ない。私は、各国要人の回顧録などを中心に読んでいるが、無条件降伏要求については否定的なコンテキストで語ら…

アメリカの日本外交暗号解読

太平洋戦争開戦前に、アメリカは日本の外交暗号を破っており、内容が筒抜けだったという話がある。話としては知っていても、情報源は知られていない方が多いのではないかと思うが、これについても、ハル国務長官の回顧録に詳細が載っている。1941年5月7日、…

アメリカは真珠湾攻撃を察知していたか【2】

アメリカの真珠湾攻撃察知に関しては、アメリカ側要人の日記、回顧録にも、その根拠を見つけることができる。 以下は、当時のアメリカ国務長官ハルの回顧録からの引用である。 一九四一年一月二十七日、東京のグルー大使から次のような電報が届いた。日本駐…

典型的な見方と異なる東條英機観

前日、東條英機関連の話題を書いたので、今日も関連する話題を続けることにする。 一般的に東條は度量が小さく陰険な人物というように今日では考えられている。過去、反東條的な立場だった、細川護貞が書いた『細川日記』などもパラパラ読んだことがあるが評…

アメリカは真珠湾攻撃を察知していたか【1】

これも太平洋戦争開戦にあたって、最終的な局面で日米交渉に従事した来栖三郎が、開戦後、アメリカ抑留中に見聞した資料をもとに書かれた回想であるが、なかなか興味深い内容である。 自分が抑留生活中に読んだ新聞記事などの中で、自分の注意を惹いたものも…

東條曰く「まだこんなことをいっているか」

前回に引き続き、東條英機関連の記事。 アジア各国に関する態度については、今日紹介するような逸話がある。 以下は、当時外務大臣であった重光から来栖が聞いた内容である 大東亜主義現実化に関する東条首相の態度はすこぶる真摯熱心で、一例を挙げれぽ、そ…

東條英機は早期講和を考えていた

一般には、東條英機は徹底好戦派であり、彼の存在が、太平洋戦争の終結を遅らせたというように言われている。しかし、当事者からは以下のような証言がある。 その他、午餐が済んで、一同応接室で寛いでいた際、首相は杉山参謀長とともに自分一隅に招致し、今…

政党政治の迷走ぶりは戦前から変わらぬ

今日は、だいぶ時間がとれたので、書棚の肥やしになっていた『頭山満言志録』を読んでみた。漢文や漢文調の文章が多く、漢文力の衰えている身にはつらかったが、それ以外は割とテンポが良かったので、一日で読了できた。 戦前の政府要人の逸話などが載ってお…

平和憲法をめぐる当事者の回顧

戦争放棄を含む、日本の平和憲法については、アメリカ・連合国による押しつけ憲法であったというようにいわれることが多い。 しかし、当事者の回顧録によれば、このような見解を否定している。 日本憲法成立起草時の、内閣総理大臣は、幣原喜重郎であったが…

リデル・ハートの日本軍評【1】

前の日記で書いた「世界史の名将たち」には、計6人の名将が紹介されていて、この中でアジア人はチンギス・ハーンと、その部将だったスブタイのみが取りあげられている。そういうわけで日本人は、この本には取りあげられていないのだが、チンギス・ハーンと…

第二次大戦時の日本軍への意外な軍事能力評価

日本国内の一般向けの書籍では、日本海軍に関しては、論争があるものの、太平洋戦争以降の日本陸軍に関しては、無能だったというのが通説だと思う。 しかし、英国の戦史研究家、リデル・ハートの「世界史の名将たち」の原書を読んでいて、意外な評価があるこ…