ABCD包囲網考【18】・まとめ

私事多忙で、こちらのブログもしばらく更新できていなかったが、長らく書いてきたABCD包囲網について、私の考えをまとめてみたい。
・言葉自体は、太平洋戦争勃発前から使われていた。
尾崎秀実の評論*1やグルーの日記*2にあるように、日本人のみならず、連合国側の外交官ですら日記の中で使用していたということが確認できる。
・実体としてABCD諸国からの共同歩調による経済制裁はあった
東條英機の細かい指摘*3は検討を要するとしても、当時の英国首相*4や、同時代を生きた連合国側の歴史家ハート*5、フラー*6、モリソン*7等も、英米蘭は共同歩調をとって、日本にとって致命的な経済制裁を行ったと述べているのである。
・オランダが経済制裁に参加していなかったという話は全くのデマ
オランダは、日本の要求に対してかなり妥協的な態度を見せていたことは確か*8だが、最終的には英米と歩調を合わせて経済制裁を行ったのである。*9
・日本の中国政策が遠因となって英米蘭に敵視されるようになった
これは大方の論者の一致した見解であると思う。イギリスは、さほど日本を敵視していなかったにも関わらず、強硬なアメリカに引きずられたというような見解もあるようではあるが*10