ABCD包囲網考【16】・昭和天皇の回想

歴史家や連合国の政治家の叙述を主にして、ABCD包囲網考を書いてきたが、今回は名目上の開戦責任者であった昭和天皇の回想を取りあげたい。基本的に昭和天皇の日記や手記といったものは、宮内庁が厳重に管理しているため、一般の目が届く範囲に流出することはほとんどないし、そういったものが存在しているのかどうかということもわかっていない。今回取りあげる『昭和天皇独白録』は、天皇の側近として仕えていた時期があった寺崎英成氏の遺稿が、アメリカで発見されたという経緯で一般に流出したものであり、史料の信用度に関しては論争があるものの、なかなか貴重な史料となっている。
以下は各国の対日経済制裁が発動した後の、昭和16年9月頃の情勢について述べたものである。

総理になつた東条は、九月六日の御前会議の決定を白紙に還すべく、連日連絡会議を開いて一週間、寝ずに研究したが、問題の重点は油であつた。*1

当時の日本の置かれた状況下で、最大の問題は石油の調達であったと述べられている。また、強硬な主戦論者であったと言われる、東條英機が、開戦を避けるために検討を重ねたということも興味深い一文である、東條に関しては別途まとめて触れる機会もあると思う。

更に、天皇は、当時、実用化の目途が立ちつつあった、人造石油を利用して石油を調達するという案があったことにも触れているが、日本の工業生産力では、到底需要に見合うだけの生産が確保できそうもなかったということを述べた上で、次のように述べている。

実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追込んだものである。かくなつた以上は、万一の僥倖に期しても、戦つた方が良いといふ考が決定的になつたのは自然の勢と云はねばならぬ*2

石油の輸入禁止によって、最終的な勝利の可能性が低くても、戦った方がよいという考え方が決定的になったと述べている。このあたりは、昭和天皇の考え方を批判する見解も多いと思うが、連合国側の歴史家の評論を見ても、当時としては自然な結論だったように思う。
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この『昭和天皇独白録』は、どのような史料だったのか明白には、わかっていないが、戦後の回想だったということは判っている。GHQ側に提出した弁明史料であったという説もあり、史料としての重要性を軽視する向きもあるが、私としては、天皇の弁明になっている部分も多少あるように思うが、国家元首の生の声を書き取ったものであるという点で面白いものであると思う。

*1:昭和天皇独白録』 文春文庫 1995年7月10日 P84

*2:昭和天皇独白録』 文春文庫 1995年7月10日 P84