無条件降伏要求についての同時代人所見【4】

無条件降伏要求に関して、当事者としての回想を主に取り上げてきたが、今回は、歴史家としての視点から、この問題について取り扱っているものを取り上げたい。既に何回か、このブログにも登場しているリデル・ハートの代表作『第二次世界大戦』からの引用である。リデル・ハートについて、ほとんど予備知識のない方は、wikipedia:リデル・ハートに、ある程度の記述があるので参照されたし。簡単に説明すると彼は、戦前から戦後にかけての、イギリスの軍事ジャーナリストで、近代機甲戦術に影響を与えた人物である。

ひとたび形勢が好転したのち、連合軍の進路の大きな障害となったのは、ほかならぬその指導者らの愚昧短慮な「無条件降服」要求であった。それはヒトラーにとっても、また日本の主戦派にとっても、自国民支配を継統させるためのまたとない口実となった。もし連合国の指導者たちが賢明にも、和平条件に関しなんらかの保証を与えていたならば、ヒトラーのドイッ国民支配は一九四五年よりはるか以前にゆらいでいたであろう。その三年以前に、ドイツにおける広汎な反ナチ運動の代表者たちが、連合国指導層に彼らのヒトラー放逐計画を伝え、連合国側の和平条件に関し若干の保証が与えられるなら、反乱に参画する用意がある指導的軍人多数の名前も伝えたことがあった。しかし当時もそれ以後も、彼らにはなんの指示も確約も与えられず、したがって当然"無謀な冒険"に対し、彼らが支持を取りつけることは困難となった。
かくして「この不必要な戦争」は不必要に長引き、何百万もの人命が余分に犠牲に供され、しかも最後に得られた平和は次の戦争の新たな脅威と高まる恐怖を生み出したにすぎなかった。なぜなら敵の「無条件降服」を取りつけるために第二次世界大戦が不必要に長引いたことは、共産主義中央ヨーロッパ支配を容易にしたことにより、結局スターリンだけの利益となったからである。*1

無条件降伏要求は連合国軍の大きな障害となり、これがなければ和平は早まり、余分な人命の喪失が避けられたはずであると明確に述べているのであり、また、これらの結果は、スターリン、つまりソ連を利しただけであり、その他の連合国にとっては害にしかならなかったと論じている。一般的に、彼は、比較的リベラルな立場の戦史家という評価なので、当然、違う立場の専門家もいると思われるが、20世紀イギリスの代表的な戦史家が、このような意見を述べていたというのは事実である。
余談になるが、彼の歴史眼には、史記司馬遷に通じるような冷徹さを感じる。
無条件降伏要求関連の記事は、これを以て一旦終了したい。

*1:リデル・ハート 『第二次世界大戦』 中央公論社 1999年10月7日 P506-507