アメリカは真珠湾攻撃を察知していたか【2】

アメリカの真珠湾攻撃察知に関しては、アメリカ側要人の日記、回顧録にも、その根拠を見つけることができる。
以下は、当時のアメリ国務長官ハルの回顧録からの引用である。

一九四一年一月二十七日、東京のグルー大使から次のような電報が届いた。日本駐在のペルー公使がグルー大使に対して「各方面からきいたのだが、日本の軍部は日米間に事が起った場合には真珠湾を奇襲する準備をしている。この攻撃は日本の全軍事力をあげてやるということだ」と語ったというのである。ペルー公使は、バカバカしいような計画だとは思うが、あちこちから聞くし、日本側からも入って来ている情報なので、あえて伝える気になったのだ、とグルー大使に述べた。翌日私はこの電報の内容を陸、海両省に報告した。*1

真珠湾が開戦時の日本のターゲットになっているという噂についての報告を受けたと明白に述べているし、軍部にも報告したと言っているのである。
このことについてはグルー大使の日記にも、ほぼ同様の内容が記録されている。

真珠湾奇襲攻撃についての最初の噂
1941年1月27日
アメリカ合衆国との開戦の場合には、日本は、真珠湾に集中的な奇襲攻撃をかけるということを計画中であると、町中でもっぱらの噂となっていた。もちろん私は政府に報告した。

以下英語原文:
FIRST RUMOURS OF A SURPRISE ATTACK ON PEARL HARBOUR
January 27, 1941
There is a lot of talk around town to the effect that the Japanese, in Case of a break with the United States, are planning to go all out in a surprise mass attack on Pearl Harbour. Of course I informed our Government. *2

これらのテキストから考えると、アメリカ政府は、真珠湾攻撃の計画を夢想だにしていなかったなどという主張は全く無理があると考える。しかし、アメリカ側が積極的にハワイの防備を薄くしたなどという極端な説も合理性にかけるだろう。参戦の口実を見つけるならば、日本側が先に攻撃したという事実があれば良いのであって、太平洋艦隊の大部分を危険にさらすようなリスクを負う必要はなかったはずだからである。
※この項の内容は某所に自ら書いたことがあります。また、例によって英文は正確な逐語訳とはいえないと思います。

*1:コーデル・ハル 『ハル回顧録』 中公文庫 2001年10月25日 P168

*2:Joseph C. Grew 『Ten Years In Japan』 Hesperides 2006年11月12日 P318