無条件降伏要求についての同時代人所見【1】

第二次世界大戦において連合国側から枢軸国に対して発せられた無条件降伏要求について、あまり日本国内の一般向けの書籍で批判されている例を見ない。私は、各国要人の回顧録などを中心に読んでいるが、無条件降伏要求については否定的なコンテキストで語られることが多いように思う。
以下は、当時のアメリ国務長官ハルの回顧録からの抜粋である。

無条件降伏という原則は、枢軸国とその衛星国に対するわれわれの政策や、将来のためのわれわれの立案に暗影を投じた。本来この原則は国務省の考えではなかった。*1

無条件降伏を原則とすることは、それが提唱された当時、アメリカ外交を担当する国務省の考えと一致するものではなかったということがわかる。

ルーズヴェルト大統領が一九四二年一月のカサブランカ会議中に、突然、新聞記者会見ではじめてこれを述べた時には、チャーチル英首相も同席していて非常に驚いたそうだが、われわれもチャーチルに劣らず驚いた。私がきいたところでは、チャーチルは驚いてものもいえなかったということだ。*2

ハル国務長官も、英国首相チャーチル同様に記者会見で不意打ち的に無条件降伏要求を出された時には驚愕したと述べており、国務省との充分な調整もなしに出された要求であったことがわかる。

根本的にいって私は、同僚の多くもそうだったが、この原則には次の理由で反対だった。一つは、これが枢軸国の抵抗を硬化させて自暴自棄に陥れ、戦争を長びかすことになりはしないかということだった。*3

枢軸国の態度硬化については、ハルが述べているよう懸念通りの結果となったし、後日述べるが、連合国側の歴史家からも批判されることになったのである。
いずれにせよ、無条件降伏要求については、アメリ国務長官ですら、それがもたらすであろうマイナスの影響に懸念を持ったと述べているのである。

*1:コーデル・ハル 『ハル回顧録』 中公文庫 2001年10月25日 P316

*2:コーデル・ハル 『ハル回顧録』 中公文庫 2001年10月25日 P316

*3:コーデル・ハル 『ハル回顧録』 中公文庫 2001年10月25日 P316