東條英機は早期講和を考えていた

一般には、東條英機は徹底好戦派であり、彼の存在が、太平洋戦争の終結を遅らせたというように言われている。しかし、当事者からは以下のような証言がある。

その他、午餐が済んで、一同応接室で寛いでいた際、首相は杉山参謀長とともに自分一隅に招致し、今度はいかにしてこの戦争を早く終結し得るかを考えてくれ、といったので、自分はあまりの単純さに一驚を喫して、和平工作は戦争を開始するように簡単には行かぬと応酬したことを記憶している。*1

筆者の来栖三郎が、アメリカ抑留から帰って来た直後の出来事として書かれているので、時期的には、1942年の8月頃のことであると思われる。東條は早期講和を欲していたようなのである。

*1:来栖三郎 『泡沫の三十五年』 中央公論社 2007年3月25日