東條曰く「まだこんなことをいっているか」

前回に引き続き、東條英機関連の記事。
アジア各国に関する態度については、今日紹介するような逸話がある。
以下は、当時外務大臣であった重光から来栖が聞いた内容である

大東亜主義現実化に関する東条首相の態度はすこぶる真摯熱心で、一例を挙げれぽ、そのころなにかの行事の関係で、永井柳太郎氏が起草した文章の中に、「日本は東亜の盟主として云々」という辞句があったのを、首相は「まだこんなことをいっているか」と口走りながら、盟主云々を削ったということである。*1

東條英機は、理念的な大東亜主義の実践に非常に熱心であり、「東亜の盟主」という字句すら事前に削ったくらいであったと述べられている。

とにかく当時東条首相は、しきりに大東亜共同宣言の実践を意図し、わざわざ現地に人を派してこれを督励したようだが、上海始め出先でこれを理解し実現せんとする者きわめて少なく、陸海軍の確執、権勢欲、腐敗に妨げられたほか、ことに陸海軍の経理部としては、所要物資の現地調弁を余儀なくされている関係上、勢い中国人から性急に物資を取り立てることを主眼として、他を考慮する余裕なく、現地の事態はついに何ら改善を示さず、せっかくの共同宣言も、有名無実といわんより、むしろ羊頭を掲げて狗肉を売るがごとき結果となり、かえって反対宣伝の好材料となってしまったのである。*2

東條は、また特別に人を派遣して、大東亜共同宣言の実践を督励していたが、現地は物資調達の関係上、こういった東條からの指示は実現されず、かえって反対派から現行不一致、羊頭狗肉として宣伝される材料になってしまったと述べているのだ。
挿話は、1943年末頃の出来事と思われるが、東條も、ある程度の理想を持って、真面目に行動しようと考えていたものの、現実との狭間で苦労していたのではないかということが読み取れる。本質的には律儀な人だったのではないかと感じるのである。

*1:来栖三郎 『泡沫の三十五年』 中央公論社 2007年3月25日 P174

*2:来栖三郎 『泡沫の三十五年』 中央公論社 2007年3月25日 P174