欧州人の見た戦前日本の光景【9】・街角の光景

江戸時代を観る歴史観に貧農史観というものがある、江戸時代の農民は総じて貧しかった、幕府の桎梏に置かれていたというような前提をもとに歴史を観る態度のことである。戦前という世界を見るにあたっても、貧しく、統制が多い国家だったということが前提になっていることが多いように思える。
ここでは、コリン・ロスが見た街角の光景を紹介してみたい。

たそがれ時になると東京や大阪のビルの屋根や壁面ではーニューヨークやシカゴとほとんど変わりなくーネオンが輝きまたたいている。
もちろんこの点でも変化が現れた。日本は何よりもまず電力を節約せねばならない。こうして今やネオンサインの使用は非愛国的とみなされている。*1

戦前の日本の大都会では、ニューヨークやシカゴ同様にネオンサインが輝く、近代都市のおもむきを見せていたということがわかるのである。もっとも日中戦争の深刻化とともに、ネオンサインのような電力の浪費は戒められるようになったということも同時に書かれてはいるが、戦時統制に入る以前は、明るい近代都市として成長していたことが読みとれる。

ちょうど女性がパーマをかけ、若い男が長髪をたくわえるのが、今日では非国民とみなされるのと同じことである。*2

髪型に関してまで戦時に入り統制下に入ったことが記述されているが、逆に言えば、戦時の統制前は、女性のパーマや若者の長髪など自由な髪型が社会的に許されていたということになる。日中戦争突入前は、戦後、世情が穏やかになった1970年代頃の時期に近い雰囲気があったようにも思える。

*1:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P29

*2:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P29