欧州人の見た戦前日本の光景【8】・日本人の好戦性

過去の日記で、戦前の日本人の軍事能力の評価について数回書いた。
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戦前において、日本は軍事能力については高く評価されていた傾向があるが、日本人の国民性については、どのように考えられていたのだろうか。日本には、戦国時代のように戦争や暴力が絶えなかった時代も、それなりにあったが、現代日本人は、平和憲法や、江戸幕府時代の永い平和の方が記憶に残っており、元々日本人は平和な民族であり、近代史において戦争が多かったのは、一部の軍閥が独走したからだというような見解が強いように思われる。今回そのような点についての、戦前における外国人の受け止め方をコリン・ロスの記述をもとに探ってみたい。

日本人は中国人とはちがって昔からまったく好戦的民族である。*1

日本人はすぐれた兵士である。そして好戦的民族であることにより近代戦においても危険な敵となる。*2

まず、日本と交戦中の中国人が平和民族であるという結論を出す一方で、日本人は全くの好戦的民族であると簡単に結論を出している。また別の箇所では、日本人が優れた兵士である一方、好戦的性質が高いために危険な敵となる可能性があると述べている。
さらに、このような好戦的な日本人というイメージは、1939年当時のアメリカにおいて強く宣伝されていたととらえられる一文がある。

とりわけアメリカ合衆国でしきりに宣伝されているような、残忍非道な戦士としての日本人の観念にはまったくそぐわないであろう。*3

また、好戦性が高いと考えた根拠をいくらか述べている。

そこで彼らの感覚からしても、英雄の霊が神々としてあがめられる聖堂に祀られるのは当然である。日本の神社の前にはしばしば大砲や榴弾が安置してある。*4英米の平和主義者にしてみれぼ、聖堂の前に大砲を安置することは濱神と思われるであろう。*5

当時の日本人の感覚からは、英雄の霊を聖堂に祀り、大砲や榴弾を崇めることは普通だったが、英米の平和主義者から見るとこのような行為は神を汚す行為であると考えられるであろうと述べている。
ロスは、このように日本人は好戦的であると強く主張しているが、その一方で、こういった自分の見解を打ち消している面もある。好戦的性格は、日本人の国民性のごく一部であり、最も目立つ性格でもないとしており、その上で、戦火の中に花見を楽しむような牧歌的な面があると述べている。

きびしい戦時下に、重大な事物の成否が賭けられている戦争の最中に、花見をたのしむため、兵士たちが中隊ごとに引率され公園を散歩していることなど、西欧的概念をもってしてはただちには理解できない。*6

そして、好戦性を巡る議論の結びとして以下のように述べている。

日本人は単に戦士なのではない。まず第一に戦士、というわけでもない。そればかりか日本人はそれよりも強い度合で、繊細でものに感じやすい魂と精神を重んじる人々である。*7

最初に日本人は中国人と比べ、全く好戦的な国民であると述べてはいたが、結論としては、それも一つの側面に過ぎず、もっとも目立つ点は、繊細で感じやすい心をもっている点であるとしているのである。
この本を読み返していて興味を覚えたのが、日本兵に対する悪宣伝が、すでに1939年のアメリカにおいて始まっていたと読みとれる点。宣伝戦によるものなのか、一般世論のおもむくところであったのかは判じがたいが、アメリカ人の日本に対する感情の悪化は開戦に先だって起きていたという傍証にはなるだろう。

*1:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P32

*2:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P33

*3:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P64-P65

*4:中略

*5:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P32

*6:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P64

*7:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P65