欧州人の見た戦前日本の光景【6】・日中戦争

開戦以前に様々な要因が戦争に至るものを内包していたとしても、第一次世界大戦が、セルビアにおける銃声で始まったように、日中戦争は、盧溝橋事件の銃声により偶発的に発生した紛争である。日中戦争を日本が軍隊を侵略的に送り込んだために起きたと誤解している向きも、あまり歴史に詳しくない方には見られるが、実際には、日本は中国本土に対しても国際条約により駐兵権を有しており、この駐兵していた軍隊に対して、発砲がなされたため、紛争が始まったというのが、実情である。この発砲に関しては、日本の謀略説、中国国民党による謀略説、中国共産党による謀略説などの説があるが、今に至るまで、誰が発砲したのかということは、歴史学的な意味では判明していない*1
しかしながら、今日では、日中戦争は日本の侵略戦争であり、中国大陸で日本軍は暴虐の限りを尽くしたというようなコンテキストで語られることが多く見られる。こういった典型的な見方に対し、同時代人の外国人旅行者、コリン・ロスの見解はどのようなものであったのか取り上げてみたい。

もともと日中戦争という言い方は正しくない。むしろこれは中国における中国をめぐる戦争である。*2

そもそも、ロスは日中の戦争であるという見方すら否定している。今日の日本でも、あまり主張されないような見解であるが、もともと中国内部での勢力争いに日本が、一枚乗った、あるいは巻き込まれたというような考えだったのだろう。

日本人はまったく宣伝が下手であり、たとえ彼らに言い分があっても、全世界は信じようとしない。*3

しかしながら、日本人の宣伝下手によって、日本人の言い分が世界に伝わっていなかったという見解を述べている。

わたしの見解によれば、自分たちは中国の民衆を相手に戦っているのではないという日本人の主張は正しい。日本人は単に中国人をけっして敵視していないばかりでなく、中国内部でも、少なくとも部分的には中国人が日本人を敵視していないケースが見受けられる。
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日本人は中国人を敵視しておらず、中国内部でも日本人を敵視していないケースすらあったと述べている。

もちろん日本軍は占領下にある中国領内でいろいろと圧力をかけ暴力をふるい、そればかりか恐怖政治を行なっている。

このように、中国領内で圧政、恐怖政治、暴力があったという事例は述べながらも、以下のように、このような行為は、報道よりもずっと少なかったし、日本は、中国人の共感を得ようとつとめており、華北では、かなり、このような政策は成功していたと描かれている。

しかしわたしは少なくとも華北では、もろもろの報告や伝聞で予想していたより、こうした日本軍の行動がずっと少ないことを見出した。

日本人は、大がかりな手段を用いて中国人の共感を得ようと努力している。彼らはこの点で少なくとも華北では、あながち否定できないような巧みさを示している。*5

また、日本に対する中国人の態度として、以下のようにも述べている。

中国人が外国の侵入者、征服者に協力し、嬉々としてこうした仕事についている*6

これについては、日本が単なる征服者ではなく、混乱が続く中国において、新しい秩序を作ろうとしている、新たな秩序の伝達者であるというように受け止められている面があったからであるとロスは論評している。
実際に現地を見聞したものからすると、日本は、圧政を行っただけではなく、日本の国益を考えながら、中国の安定を得ようとした側面はあったのであろうと思う。だが、ロスが述べているように、日本側の言い分は、国際社会に伝わっていなかったか、評価されていなかったのであろう。

*1:参考文献 小林英夫 『日中戦争』 講談社現代新書 2007年7月20日

*2:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P186

*3:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P186

*4:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P186

*5:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P188-189

*6:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P195