欧州人の見た戦前日本の光景【10】・日米関係

今回もコリン・ロス関連の話題。
戦前の日本の対米感情に関しては、鬼畜米英等と称して嫌っていたというような印象が強いように思われるが、これは大日本帝国でも末期のことであって、日露戦争終戦に米国の仲介を仰いだ件などを見ても、本来は、アメリカとは友好関係にあった。こういった友好的な関係は、第一次世界大戦終結後あたりから徐々に変容していったことが、幣原喜重郎の『外交五十年』などを紐解くとわかるが、1939年という開戦前夜の日米双方の感情についても、コリン・ロスは記述している。

工業化が進むにつれ、日本にも近代的な広告術が侵入してきた。広告もまさにアメリカ式になってきた。*1

1939年当時ですら広告術のような文化面において、アメリカの影響を日本は多大に受けていたと評価していたことがわかる。

アメリカはこのところ日本を蔑視し、日本国民の合衆国への移住を禁じている。その間の事情は日本が最近軍事力を増大し、着々と成果を上げていても変わっていない。それにもかかわらず、*2

戦前のアメリカでは、日本人に対する蔑視的な態度が続いていたということがわかる。なお、移民規制は、かなり早くからなされていたもので、これに関しては、実際に交渉にあたった経験がある、幣原喜重郎が、回顧録『外交五十年』で交渉の経過を詳しく書き残している。これに関しては、いずれ、この日記でも取り上げたいと思う。
また、ロスは以下のように述べている。

そもそも日本人はひそかにアメリカ人やアメリカニズムを愛しているのだ。*3

アメリカ人から日本人は蔑視される一方で、ロスは、日本人はアメリカ人、アメリカ文化を好んでいたというような感触を得ていたのである。

とりわけアメリカ合衆国でしきりに宣伝されているような、残忍非道な戦士としての日本人の観念にはまったくそぐわないであろう*4

上記箇所は、前にも取り上げた内容であるが、むしろ、日本人のアメリカへの感情が悪化する前に、アメリカ人の日本人に対する感情の悪化があったというように捉えられる。これらの反日宣伝が過熱した理由に関しては、色々と考えるべき点もあろう。

*1:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P28-P29

*2:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P29

*3:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P29

*4:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P64-65