日本の特攻に対するアメリカ側の評価

前日は、ドイツ軍の特攻について、取り上げたが、今回は日本の特攻についてのアメリカの調査報告について検討したい。今回、使用する資料は米国戦略爆撃調査団の報告書である。日本の航空戦力に関しての報告書なので、航空部隊による特攻に関する内容のみとなるのは了解されたい。

  • 特攻を始めるに至った状況について

すべての国の空軍とおなじく、訓練が全ガソリン消費量の大部分を占める。したがって、航空燃料不足は訓練プログラムにもつとも直接的な影響をおよぼした。
終戦時には、高度に熟練したパイロットを大量に訓練することは、日本空軍には不可能なことになっていた。
大本営が、航空攻撃にたいする本土防衛よりも、侵攻軍にたいする自殺攻撃による防衛を優先させ、自殺部隊を創設する決定をするうえで、燃料不足は重要なファクターとなった。*1

ここでは、特攻を始めるに至った直接の原因は、燃料不足により、熟練パイロット養成が困難になったことが原因とされている。熟練パイロットが不足したため、特攻が開始されたというのはよく言われる内容だが、その原因が燃料不足だったという分析はシャープな観察であると思う。

  • 特攻の評価1

日本人によって開発された唯一の、もっとも効果的な航空兵器は自殺機で、戦争末期の数ヵ月間に、日本陸軍日本海軍の航空隊が連合軍艦船にたいして広範に使用した。*2

報告書なので皮肉まじりということはないと思われるが、日本が開発した、最も効果的な航空兵器は特攻機であったと明瞭に述べている。

  • 特攻の評価2

a、自殺攻撃は、大本営に、陸海両空軍が正規の航空軍としては敗北したことが明白になったとき、絶望的戦術として使用された。
これらの攻撃を持続させる方法として、日本はこれらを天皇のために死ぬ「神聖な使命」として宣伝した。しかし、この攻撃が開始された理由は、かんたんにいえば冷静で合理的な軍事決定であった。
b、日本が海上艦船にたいする使用に考案したもっとも効果的な兵器が、自殺機であった。四四ヵ月つづいた戦争のわずか一〇ヵ月間に、アメリカ軍艦損傷艦総数の四八・一パーセントが、そして沈没艦総数の二一・三パーセントが、自殺機による戦果であった。
しかし、自殺攻撃はたかくついた。
自殺戦術を実施した一〇ヵ月間に、陸海両空軍は二五五〇機を犠牲にして、連合軍艦船の各種タイプに四七四機を命中させた。有効率は一八・六パーセントだった。*3

特攻が日本にとって、最も有効な航空兵器であるとする一方で、高くついた攻撃方法であったともしている。効果的だが高くついたというのは、論法にねじれを感じるが、日本にとっては、これより効果的な航空兵器はなかったが、高くついた攻撃方法であったととるべきであろうか。

  • 本土上陸作戦がされていた場合の特攻の効果について

c、「オリンピック」作戦に対抗して、九州防衛のための自殺機使用が準備され、それと同様の、しかし規模のちいさい準備が、「ジッパー」作戦にたいして、シンガポール防衛のためになされた。これらの自殺機の使用により、上陸作戦時の連合軍艦船が、連合国空軍が計画した多様な効果的対策にもかかわらず、大きな損傷をうけたであろうことに疑問の余地はない。*4

この報告書では、終戦時に準備完了していた特攻機が5350機あったとしているが、それらが、上陸作戦時に使用された場合、連合国側艦船に大きな損傷をもたらしたであろうとも述べているのである。
ついで、特別攻撃隊への志願についても、同報告書で調査されていたので、関連情報として、これも挙げておきたい。

入手した大量の証拠や口述書によって大多数の日本軍パイロットが自殺航空任務に、すすんでボランティアしたことはきわめて明らかである。機体にパイロットがしばりつけられていたという話は、実際にそんなことが起きたとしても、一度だけだったであろう。*5

大多数のパイロットは特攻に進んで志願したということが窺われる調査結果となっている。しかしながら、この節の続きの部分で、そのまま特別攻撃による志願者の消耗が進めば、「志願者」の徴集が必要になったであろうとは述べられている。

*1:大谷内一夫 編・訳 『JAPANESE AIR POWER 米国戦略調査団報告/日本空軍の興亡』 光人社 P138

*2:大谷内一夫 編・訳 『JAPANESE AIR POWER 米国戦略調査団報告/日本空軍の興亡』 光人社 P157

*3:大谷内一夫 編・訳 『JAPANESE AIR POWER 米国戦略調査団報告/日本空軍の興亡』 光人社 P199

*4:大谷内一夫 編・訳 『JAPANESE AIR POWER 米国戦略調査団報告/日本空軍の興亡』 光人社 P157

*5:大谷内一夫 編・訳 『JAPANESE AIR POWER 米国戦略調査団報告/日本空軍の興亡』 光人社 P201