真珠湾作戦が戦局に与えた影響

真珠湾作戦は、結果としてアメリカ軍の戦意を高めてしまい、政略的に失敗だったという観点でのみ語られることが多いが、実際にアメリカ軍の作戦にどのような影響を与えていたかといった観点で語られることは少ない。幸いマッカーサーが自伝において、ある程度、それについて述べているので、それを元に検討したい。但し、責任者の回顧によるものなので、海軍に責任を転嫁するような、弁解的な部分が入っている可能性はある。

フィリピンのわが空軍力が役に立つかどうかという問題は、真珠湾の米艦隊が壊滅したことで、もはや意味のないものになっていた。
当時、太平洋の米軍は「レインボー5号」と呼ばれる基本的な戦略計画を立てていた。
この計画は最初にあった同名のものを幾度も修正し、新しいものを加えてでき上がったもので、太平洋で戦争が起った場合には海軍が海上の補給線を維持し、地上兵力は四カ月ないし六カ月敵の攻撃をもちこたえ、その間に太平洋艦隊が巨大な海上戦力を動かして救援部隊を運び込む、ということになっていた。*1

日米開戦が起きた場合のフィリピン方面の作戦プランは、地上で持久しつつ、海上補給路でそれを支えるという計画であったと述べている。

ところが、海軍が補給線を維持できなかったため、修理資材、兵器、爆弾、燃料その他の必要な補給がとぎれ、フィリピンにある航空部隊は活動できなくなってしまった。補給のストックはわずかなもので、たちまちなくなった。
従って、日本軍が米艦隊の弱体ぶりに乗じてフィリピンを封鎖した時、フィリピンの航空部隊は敵がそれ以上何もしなくてもやがて自然に無力化されてしまう運命に追込まれたのだ。*2

ところが、米国海軍が制海権を喪失したために、フィリピンへの補給が不可能になり、結果としてフィリピンの防衛に支障を来す結果となったというように述べている。

真珠湾に対する一撃は、太平洋艦隊に損害を与えただけでなく、同時に在フィリピン航空部隊が将来力を発揮する可能性もつぶしてしまった。いいかえれば、フィリピンの空の防衛体制は、オアフ島水域で沈んだ米艦隊と一緒に消えてしまったわけだ。
海軍作戦部長キング提督は、のちに次のような意見を述べている「あの時米艦隊はマニラに向い、窮境にある現地の米軍を救援すべきだったと多くの人が考えているが、それはできなかった。当時われわれがもっていた程度の戦力では、そのような行動は惨憺たる結果に終っただろう」*3

ここにおいて、キング提督の見解を引いて、真珠湾作戦はフィリピンにおける、連合国の抵抗の可能性を消滅させたものとして描かれている。
しかしながら、上記のような事実にも関わらず、マッカーサーは、米海軍によるフィリピン補給が可能であったのではないかとも述べているので、これも、一応、引用しておく。

海軍は自分の力を過小評価していたのであって、窮境にある米軍を救うため封鎖線を突破することはできたはずだと私は考えている。日本のフィリピン封鎖はある程度形だけの封鎖だった。
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これに関しては、当時の太平洋における日米海軍の戦力を考えるとマッカーサーの責任転嫁ではないかと思われるが、ifの話なので何ともいえない。だが、海軍作戦部の責任者が戦力不足だと判断していたことは事実である。
全体として考えると、真珠湾作戦の影響がアジア方面の連合国の作戦に、もたらした影響は大きかったと見るべきだろう。
余談になるが、政略的な面での影響から、真珠湾作戦の立案者であった山本五十六を無能扱いするような意見もあるが、筆者はこのような立場をとらない。山本五十六の職務は連合艦隊司令長官であり、純軍事的な面を判断する職であったからである。この面において、海軍の責任者を挙げるとすれば、連絡会議にも出席し、政戦の調整権が一応あった海軍軍令部総長であると考える。更に追求すれば、外務大臣や首相の責任とも言えるであろう。
しかし、政略的な面を考えたとしても、この攻撃が行われなかった場合、日本軍の攻勢が順調に進捗しなかった可能性は高い。日米開戦の場合、真珠湾を奇襲し制海権を奪取するというのは、戦理にかなった判断だったと思われる。

*1:ダグラス・マッカーサー 『マッカーサー大戦回顧録 上』 中公文庫 2003年7月25日 P13

*2:ダグラス・マッカーサー 『マッカーサー大戦回顧録 上』 中公文庫 2003年7月25日 P13-14

*3:ダグラス・マッカーサー 『マッカーサー大戦回顧録 上』 中公文庫 2003年7月25日 P14

*4:ダグラス・マッカーサー 『マッカーサー大戦回顧録 上』 中公文庫 2003年7月25日 P14