日本軍の進撃がオーストラリアに与えた脅威

日本軍の太平洋戦争序盤の快進撃が、西洋人に与えた心理的影響については、既にd:id:royalblood:20090424:1240572977で述べたが、マッカーサー回顧録の、フィリピン脱出後を回想した部分にも、当時の日本軍の脅威が窺われる。

オーストラリアの各幕僚長の考えや計画は、この情勢からみてやむを得ないことだが、防衛一本だった。つまり、オーストラリア東海岸のまん中あたりにあるブリスベーンから南のアデレードまでほぼダーリング川にそう仮の線を引いて、その線を死守するというのだ。
この計画では、オーストラリア大陸の四分の三以上を占める広大な西部と北部の地域を放棄してしまうことになっていた。*1

現在では、日本がオーストラリアを一部でも保有、占領することなど思いもよらないことだが、当時のオーストラリア軍部は、日本軍の進撃を見て、オーストラリア大陸の大半を放棄して防御するという計画を極めて真剣に考慮していたことがわかる。しかし、結局の所、マッカーサーは、自身の所見を述べることにより、この意見を撤回させて、ニューギニアで日本軍を食い止めることを主張し、その案が通ったと述べている。
果たして、当初案のような防御一辺倒の戦略をオーストラリアが取った場合、どのように戦局が展開したかは、歴史のifとして興味深いところである。

*1:ダグラス・マッカーサー 『マッカーサー大戦回顧録 上』 中公文庫 2003年7月25日 P97