ABCD包囲網考【7】・英米の共同政策の実態

1941年8月前後の対日政策における、英米の共同姿勢に関しては、J.F.C.フラーが『制限戦争指導論』の中で、簡にして要を得た記述を行っている。今回は、これを出典にとりたい。
1941年8月8日から8月13日に行われた大西洋会談において、チャーチルは次のような要請をアメリカに対して行ったとしている。

私はアメリカ側に、六ヵ月間われわれの援助を停止してでも、いまただちに対日宣戦布告をやってほしい、その方が援助を倍増してやるが宣戦しないというのより好ましいと述べた*1

これに対してルーズベルトは、以下のように答えたという。

私は決して宣戦布告をやるわけにはいかないでしょうが、戦争を開始することはできるでしょう。私が議会に宣戦布告を要請しようものなら、議会はそれについて三ヵ月間は議論するでありましょう*2

これらの記述については、フラーはチャーチルの『第二次世界大戦回顧録』の完全版3巻を出典にしていたようである。
そして、ルーズベルトは、チャーチルに対して以下のような観測を述べたという。

アメリカが攻撃をしかけなくても、アメリカは極東で戦争に突入することになるでしょう。かくして究極的勝利は確実なものとなるでありましょう。*3

これに関しては、出典は、議会討論*4となっているので、かなり信憑性が高い話であろうと思う。いずれにせよ、この会談で、チャーチルは直ちに対日宣戦布告をするようにルーズベルトに要請し、ルーズベルトは宣戦布告はできないが、アメリカから攻撃をしなくても対日戦争に突入することはできると述べていたわけである。
また、この会談の最中、日本に対し強硬な文書を送ることをルーズベルトは約束し、実行に移した旨も記載されている。

*1:J.F.C.フラー 『制限戦争指導論』 原書房 2009年5月8日 P404

*2:J.F.C.フラー 『制限戦争指導論』 原書房 2009年5月8日 P405

*3:J.F.C.フラー 『制限戦争指導論』 原書房 2009年5月8日 P405

*4:Parliamentary Debates 5th Seriese, Vol. 377, col. 607