ABCD包囲網考【8】・1941年11月頃の英米の予見

ABCD包囲網に関する記述も既に8回目となった。今回もJ.F.C.フラーの『制限戦争指導論』から、関連の記事を紹介する。

11月5日*1チャーチルルーズヴェルトに次のような書簡を送った。「日本はいまだ最終的決定を下しておりません。どうも天皇が制止しているようです。われわれがこのことについてプラセソシア*2で話し合った際、貴下は時間をかせぐ旨を言い出されました。現在までのところ、この政策は非常にうまくいっています。しかしわれわれの共同禁輸政策は確実に、日本をして平和か、戦争かの瀬戸際に追いやりつつあります。(The Second World War Vol.III,p526-527)」
*3

挙げられている出典は、チャーチルの『第二次世界大戦回顧録』の完全版であると思われる。この記述によれば、1941年11月初頭には、アメリカはイギリスに戦争準備のための時間稼ぎをすることを述べており、対日禁輸政策が日本を追いつめつつあることを自覚していたということがわかる。ここの文面からは、英米が協調して対日政策を行っていたということは、以前とりあげた邦訳ダイジェスト版のチャーチルの叙述*4に比べ、さらに明らかであろう。また、「最終的決定」を天皇が制止しているという書き方から考えて、戦争が選択されることを予見していたように思う*5
フラーのこの本は、18世紀以降の戦争史についての包括的な著作となっているが、第二次世界大戦に関してもコンパクトながら、出典も充実しており、見逃しがたいものであることに改めて気付かされる。

*1:1941年

*2:大西洋会談の行われた場所

*3:J.F.C.フラー 『制限戦争指導論』 原書房 2009年5月8日 P405

*4:d:id:royalblood:20090602

*5:本来なら原文も検討したいところではある