ABCD包囲網考【1】・主な論点

第二次世界大戦前夜の日本の状況を表す言葉にABCD包囲網というものがある。これは、アメリカ(A=America)、イギリス(B=Britain)、中国(C=China)、オランダ(D=Dutch)が、日本と交戦、あるいは経済制裁をしている状況を表したものである。こういった状況が存在したこと自体は明白なのだが、近年では、日本の被害妄想だった、この四ヶ国間は政策的に同調しているわけではなかったというような議論が提出されることがある。おそらく、保阪正康が『あの戦争は何だったか』で、ABCD包囲網などなかった、石油はあったと書いていたのが影響しているのではないかと思うが、この問題について検討してみたい。
過去にはwikipediaにも、このような認識に基づく記述があった。

この包囲網は、「欧米各国の日本に対する経済封鎖」といった認識が広まっているが、包囲網とはあくまで日本側からの呼び名であり、連合国側にはそのような意識は無かったとされ、これらの国が何らかの条約を結んだ記録も公表されていない。例えばオランダは、インドシナ進駐後に行われた日本との交渉でも、日本側の要求を受け入れる用意があり、それとは別に石油購入の契約も成立している。つまり、ABCD包囲網は実態としては存在せず、日本の被害妄想と言うこともできる。
また、この言葉自体、マスコミから派生した語呂合わせ的な俗語であり、必ずしも当時置かれた日本の状況を的確に表現しているとは言えないため、この言葉を公の場で使うことを半ばタブー視する声もある。*1

また、wikipediaのノートでの議論には、言葉自体が後世からの捏造であったのでは無いかというような疑義すら提起されていた。

・?これはいつごろから出てきた言葉ですか?
・↑これは一体どういう趣旨の質問なんだろう。単に歴史に無知なだけ?
・↑だから、こういう人に説明してもらいたいわけだな。
・↑だから、質問の趣旨がわからないんだってば。本文にある通りで、当時からある言葉だと認識していますが、それ以上に何かひっかかりがあるの?
*2

このwikipedia:ABCD包囲網の記事は、編集合戦の後、かなりの期間、編集禁止状態にあったのだが、筆者の知っている事実とは、かなり異なっていたので、解禁後に筆者自身が、かなり加筆訂正している。今回始める議論もwikipediaに書いたものと重複する部分があると思われるが、これは、筆者自身が編集に加わっているためである。wikipediaに書いたものを、あらためて個人のブログに書こうと考えた理由は、wikipediaは絶えず編集されるメディアなので、筆者の記述したことが、維持されるとは限らないという点と、百科辞典的な性格であるため、議論を尽くしにくいという点があるからである。
ABCD包囲網幻論」の論点をまとめると以下のようなものであろうか。

  • ABCD包囲網という言葉は同時代では使われていなかった
  • 日本側からだけの呼称・認識だった
  • これらの国は独自に経済制裁をしただけで、協調して経済制裁をしたわけではない
  • オランダは対日経済制裁などしていなかった
  • 日本に石油はあったので開戦する必要はなかった

このような論を念頭に入れつつ議論を進めていこうと思う。