ABCD包囲網考【2】・事典類の記述

前日の投稿では明確には書かなかったが、私としては、連合国側の人物の回顧録や戦史を読んだ限りにおいて、連合国側から見た場合、日常的に使われる用語であったかどうかという点についてはどうかと思うが、「ABCD包囲網」は実体としては存在したという考えである。wikipediaでは、過去には、「ABCD包囲網」なるものは、幻であり日本の被害妄想であったという内容すら本記事に書かれているくらいであったが、今回は手元にあるカシオの電子辞書XD-GP6900に搭載されている事典類での扱いについて述べておく。
●日本歴史大事典(小学館刊行)
この事典では、用語としては、「ABCDライン」となっており、日本の政治学分野の研究者であった、藤原彰の署名記事として扱われている。この事典では、用語自体は日本政府が国民に危機感を植え付けるために、意図的に宣伝されたものであるとしているが、以下のような事実を述べている。

  • アメリカ、イギリス、オランダの三国は1941年4月に軍事参謀会議を開き、極東防衛策を協議した
  • イギリスはマレー半島の、オランダはインドネシアの植民地権益を失うことをおそれた
  • アメリカは屑鉄、石油の対日輸出を禁止し、日本の海外資産を凍結した

なお、記事を書いた藤原彰氏は、左派寄りの研究者と見られている。
●マイペディア(日立システムアンドサービス刊行)
これも、項目自体は「ABCDライン」とされている。内容自体は、日本歴史事典の内容を簡略にしたような内容になっている
●日本史事典(旺文社)
項目は「ABCD包囲陣」とされている。内容については、マイペディアと大差ない
●ブリタニカ国際大百科事典(Britannica刊行)
項目名は「ABCD包囲陣」英語名を「ABCD Powers」としている。また、「ABCD包囲網」とも別称されることについても言及している。この事典には日本が意図的に宣伝したということについて言及されていない。この用語は、1939年7月26日に行われたアメリカの日米通商航海条約の廃棄、その後の、石油の対日禁輸、海外資産の凍結を指すということが述べられている。なお、英語の項目名になっている「ABCD Powers」に関しては、1941年当時の駐日大使ジョセフ・グルーが、当時の日記で用いていたことはわかっている*1。グルー氏の日記に関しては、原文とともにあらためて取りあげる予定である。
これらの事典の記述には、「ABCD包囲陣」、「ABCDライン」、「ABCD包囲網」は、日本国内で喧伝された用語であるとしているものが多いが、これら諸国から圧力があったということ自体は否定していない。

*1:この事実については、筆者がwikipediaに加筆した