スパイ・ゾルゲが見た日本【4】・英国の対日政策

現在では、遠因については諸論があるものの、日本に対するイギリス、オランダ、アメリカの経済封鎖が、直接の引き金となり、日本の第二次世界大戦参戦が決まったということはよく知られていると思う。今日では、ドイツ戦に苦しむイギリスが、アメリカの参戦を望んだから、日米戦に至ったという点が語られることが多いように思う。直接的な要因に限れば、このような見解は誤っていないが、むしろ、そこに至る道筋という点を考えると、イギリスよりもアメリカの外交姿勢の方が大きな要因になっていたとも考えられる。
今回、検討対象にするのは、ゾルゲがスパイとして逮捕された後に、手記として書かれたものである。

イギリスの行き方は、周知のように、日本に対し緩和政策をとり、むしろ日本の対華政策を是認する傾向を見せていたが、ヨーロッパ戦争勃発後は、特にアメリカ依存の程度が強まり、対日緩和政策を捨ててアメリカの外交方針に従わざるを得なくなった。*1

欧州大戦勃発前のイギリスは、どちらかというと日本に対して、宥和的な態度をとっており、日本の対中国政策をも是認するような態度を見せていたが、対独戦勃発後は、対日強硬姿勢をとっていたアメリカに支援を依存しているために、アメリカに従わざるを得なくなったと述べているのである。この点は、リデル・ハートやJ.F.Cフラーなどの、同時代の英国人の論評を見ても日本の態度のみを批判していない。これらは、ABCD包囲網について言及する時に、あらためて例示していこうと思う。
ゾルゲ関係のシリーズは今回をもって終了。

*1:リヒアルト・ゾルゲ 『ゾルゲ事件 獄中手記』 岩波現代文庫 2005年1月15日 P185