終戦工作の真相【6】

「欧州人の見た戦前日本の光景」も、まだネタがあるので続ける予定だが、今日は、「終戦工作の真相」の続きを書くことにする。
太平洋戦争の終戦工作に関しての記事は6回目となるが、最近復刊されたフラーの『制限戦争指導論』にも興味深い記述がある。

天皇は同年一月頃から、戦争を終らせなければならないという確信を深めていた。*1

筆者は先に、マッカーサーや、リデル・ハートの、天皇は1944年末から1945年初頭には和平を強く考え始めていたという記述を紹介しているが、フラーも、ほぼ同様の時期を挙げている。欧米においては、むしろ、このような見方が主流なのではないかとも思う。
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また、高木惣吉少将の終戦工作*2についてもJ.F.Cフラーは触れている。

日本海軍軍令部の高木惣吉少将は、一九四四年初めに、戦争終結のため、日本は妥協による講和を求めなけれぽならないという結論に達していた。*3

高木惣吉少将の終戦工作が注目され始めたのは、日本国内では、かなり後になってからのことだと認識しているが、フラーは1961年出版の同書で既に触れている。このことには、少なからず驚いた。

*1:J.F.C.フラー 『制限戦争指導論』 原書房 2009年5月8日 P444

*2:構想のみで実行はされなかった

*3:J.F.C.フラー 『制限戦争指導論』 原書房 2009年5月8日 P444