欧州人の見た戦前日本の光景【1】・対独感情

手元にコリン・ロスというドイツ人*1が書いた『日中戦争見聞記』という本がある。1939年、つまり太平洋戦争勃発前夜にして、日中戦争中のアジアの旅行記をまとめたものだが、西洋人の観点から生で見たアジア観は新鮮であった。私が興味深く思った点をいくつか紹介してみたい。
まずは、日米戦争勃発前の日本人の、対独感情について述べられている部分を取り上げたい。この記事が書かれた時期は1939年であるから、時期的には、日中戦争は勃発後であり、日独伊防共協定締結後、日独伊三国同盟に関しては締結されていない時期の話である。
彼は、自動車で日本各地を旅行していたのだが、その時の体験を以下のように述べている。

何よりもまず、これらの素朴な人たちが、ドイツにかなりの好感を抱いているのを知って嬉しかった。わたしたちはハーケンクロイツの小旗を愛車につけて走った。すると、どこに行こうとわたしたちはドイッ人であることが認められ大歓迎を受けた。村の中を通り抜ける時など、わたしたちは何度も繰り返し、半ば驚き、半ば賛嘆したような「ドイツだ」「ドイツ人だ」という叫び声を聞いた。めぐりあった人々の多くは右手を挙げるヒトラー式の挨拶をし。*2

ここでは、日本の一般大衆が、ナチスドイツの象徴であるハーケンクロイツ旗や、ドイツ人に対して好意的な態度を示していたことがわかり、ナチス式の右手を挙げる敬礼をするケースすら珍しくなかったということがわかる。この時期、多くの日本人はナチスドイツ・ヒトラーに対して好感を持っていたことが読みとれる。
その一方で、ロスは日本の一般大衆の好感情と、政治的な動向は必ずしも一致していなかったとしている。

もちろん、こうした態度からけっして性急な結論を引き出してはならない。日本では一般大衆が政治を決定するのではない。そして政治を決定するサークルの中では、きわめて親独的な陸軍とはちがう流れ、別の方向を辿る者たちが今のところ主導権を握つている。*3

一般大衆の好感情にも関わらず、日本の政治システムに関しては、すでに親独的だった陸軍とはちがう傾向の人々が、まだ主導権を持っていたという所感を述べている。この時期は、ドイツ国民側の目から見て、日本の外交がドイツ寄りにはなっていなかったということが読みとれる。
また、このようなドイツに対する好感情/高評価は、当時の職業軍人であった、同じような時期の石原莞爾の著書からも読みとれる。、

ヒットラーがドイツを支配して以来、ドイツは真に挙国一致、全力を挙げて軍備の大拡充に努力した*4

英雄ヒットラーにより全国力が完全に統一運用されている*5

石原はこのようにヒトラーを「英雄」と評価する一方で、仏英の無策ぶりに関しては批判をしている。こちらの文章は有名な『最終戦争論』の中の一節で、基本的にはドイツのフランス侵攻後、かつフランス降伏前の講演の速記に対して、後日、若干の修正が加えられたものであるが、三国同盟の締結や、日本の第二次世界大戦参戦前の評価である。
これらの史料から考えると、ナチスドイツやヒトラーに対する当時の日本人の評価は、三国同盟締結より前の時期でも、一般大衆も含め、かなり高かったようであると考えられる。
『最終戦争論』については、筆者は中公文庫による印刷されたものを持っているが、青空文庫で無償配布されている。興味のある方は、参考にされたし。青空文庫 Aozora Bunko

*1:出生はオーストリアだが、当時はドイツに併合されていた

*2:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P51

*3:コリン・ロス 『日中戦争見聞記』 講談社学術文庫 2005年12月1日 P51

*4:石原莞爾 『最終戦争論・戦争史大観』 中公文庫 P29-30 1999年5月20日

*5:石原莞爾 『最終戦争論・戦争史大観』 中公文庫 P30 1999年5月20日