終戦工作の真相【5】

終戦工作の真相」は、【4】を以て一旦終了するつもりだったが、別件で『マッカーサー大戦回顧録』をあたっていたら、たまたま日本側の和平工作についての記述が見つかったので、補足として書いておきたい。

私は日本の天皇から、山下ラインを守りきれなかったことで日本政府は戦争が敗北に終ることを察知し、それ以後の政府の努力はあげて、国内の爆発的な反発をひき起さずに講和を結ぶことに注がれた、との話をきいた。*1

山下ラインが崩壊したのは、1944年12月のことなので、この談話を信用するならば、1944年末には天皇周辺は勝算がないことを察知し、講和に向けて動き始めたということになる。この談話に関しては、戦後の伝聞なので、無条件に信用することはできないが、以前にとりあげたリデル・ハートの描写と概ね一致する。
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また、別の箇所でマッカーサーは次のように述べている。

モスクワにいる日本大使が、日米間の和平交渉の基礎を作りあげるためソ連に中立国として仲介の労をとってもらおうと、ソ連の外相に必死になって働きかけていることはわれわれにもわかっていた。*2

こちらに関しては、いつ頃から「わかっていた」のかは明確ではないが、フィリピン戦が終息する前の出来事として描かれているので、1945年7月4日よりは前であると推定される。先に挙げたリデル・ハートの叙述によるところの、ハリー・ホプキンスとスターリンの会談あたりの情報がマッカーサーにも伝わったものかもしれない。
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*1:ダグラス・マッカーサー 『マッカーサー大戦回顧録 下』 中公文庫 2003年7月25日 P59

*2:ダグラス・マッカーサー 『マッカーサー大戦回顧録 下』 中公文庫 2003年7月25日 P131