終戦工作の真相【4】

数々の終戦の試みが敗れた後の経過は、主な経過は、巷間に知られている通りである。その経緯の叙述に関しては、リデル・ハートの筆によるものが白眉であると思う。主な経過を追ってみたい。
1945年6月、悪化していく戦況の中で、連合国側の無条件降伏要求のため、日本国内はまとまらず、この問題に決着を付けるべく取り組んだのは天皇であった。

この難局の打開に乗り出したのは天皇自身だった。六月二十日、天皇は主要閣僚など六名から成る最高戦争指導会議を召集し、その席上で一同に、「できるだけ早期に戦争を終結する問題を研究するように」と告げた。*1

この時、首相、外相、海相の三名が無条件降伏受諾の意向であったのに反し、陸相参謀総長軍令部総長は条件の緩和をかちとるまで戦争の継続を主張していたのだが、天皇の意向を受けてソ連経由で和平交渉を行うことに決した。そして、天皇近衛文麿公爵に密かに指示を与えていたのである。

天皇はひそかに近衛公に対し、いかなる代償を払っても和平を求めるよう指示を与えた。準備措置として日本外務省は、七月十三日、公式にモスクワに、「天皇は平和を希求している」旨を伝達した。*2

原爆投下、ソ連参戦を待たずして、天皇は近衛公爵に対して「いかなる代償を払っても和平を求めるよう指示を与えた」のである。
しかし、連合国側の対応は冷淡なものであった。

このメッセージはちょうど『ポツダム会談』へ赴こうとしていたスターリンのもとへ届けられた。スターリンは冷淡に、この申入れは自分に行動を促すほど決定的なものでなく、また使節の受入れを認めるつもりはないと答えた。しかし今回はチャーチルにそのいきさつを語った。チャーチルトルーマンに知らせたのはこの時のことであり、あわせてチャーチルは、「無条件降服」の厳しい要求を緩和するほうが賢明ではないかという控え目な示唆を与えたのであった。*3

連合国側首脳は、『ポツダム会談』前の、この和平交渉を黙殺することに決めたのである。但し、この時、チャーチルは先に取り上げたように無条件降服要求の緩和を提案しているd:id:royalblood:20090429:1240994721
そして、結局、ポツダム宣言、広島、長崎への原爆投下、ソ連参戦という経過をたどり、事態は最終的な局面に至ったのである。ここに於いて日本はラジオ放送によって国体に関する降伏条件を要求した。

日本政府はラジオを通じ、天皇主権が尊重される限り−七月二十六日の連合国『ポツダム宣言』は不吉にもこの点については沈黙していた−進んで降服の意図があることを宣言した。多少の議論ののち、トルーマン大統領はこれに同意した。「無条件降服」に対する明らかな修正だった。*4

連合国は日本側の天皇制存続という要求を認め「無条件降伏」の緩和を行ったとしているのである。細かく書くと政治体制に関しては「日本国民の自由意志によって決定される」というような意味の内容が連合国側から回答されたのだが、当時の日本人の大半は共和制を指向していなかったので、天皇政存続を認めたに等しい文言だったと言えるだろう。

八月十四日の御前会議の席上でもなお意見はさまざまに分かれた。しかし天皇は、はっきりと次のように語ってこの問題に決着をつけた。「ほかに誰も意見を述べるものがいなければ、朕は皆に同意するよう求める。日本を救う道はただひとつしか残されていない。だからこそ耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、この決断に到達したのだ」*5

最終的に、天皇が議論を終結させ終戦に導いたことを明快に描いている。戦前において、基本的に天皇というのは具体的な指示を出さない存在であった。内閣が輔弼するという形式で統治権を代行するというシステムであったのだが、終戦時においては、既に機能不全にあったことを物語っている。
なお、ある日本の政治学者は、原爆投下後の終戦プロセスについて次のように書いている。

ここ*6に至って、ようやく日本政府の内部からも、「国体護持」だけを条件にしてポツダム宣言を受諾しようとする勢力が台頭してくる。彼らは、天皇の支持を取りつけた上で、八月九日深夜から一〇日にかけて開催された御前会議と一四日の二度の御前会議に臨み、天皇の支持を背景にしてポツダム宣言の受諾を最終的に決定した。アメリカ側は天皇制の存続を明示的な形で保証していたわけではなかったが、八月一〇日の日本政府による第一次受諾通告に対する回答にみられるように(バーンズ回答)、少なくとも存続の可能性を示唆してはいた。天皇と即時受諾派は、そこに望みを託して、宣言の受諾という政治的決断に踏み切ったのである。*7

今回、取り上げたリデル・ハートの叙述だけをみても、原爆投下まで「国体護持だけを条件にしてポツダム宣言を受諾しようとする勢力」が台頭していなかったというような書き方は疑問である。少なくともハートは6月の時点で首相、外相、海相は無条件降伏受諾の意向を示していたとしている*8。また、連合国側の歴史家からみても、「無条件降服に対する明らかな修正」を行ったと見えたのだから、天皇制の存続は「そこに望みを託して」というほど確度が低いものであったとは思わない。チャーチルも「日本政府は、この最後通牒が最高支配者としての天皇の大権を損なうものでないという条件のもとに、これを受諾することに同意した」としている*9。この本も色々学ぶべき所があったが、人それぞれ立場があると思わされる部分があった。
私は、たびたび、リデル・ハートの著書を引用しているが、今回も取り上げた『第二次世界大戦』は再版されないのが不思議なくらいの名著である。日本人が太平洋戦争を含む第二次世界大戦について、通読するなら、まずは、この本を薦めたい。この本で、いささか遺憾なのはソ連フィンランド戦争について、ほとんど書かれていない点である。もっとも、これについては日本語で読める本で良いものを知らないが。分野を限定するものなら中山雅洋氏の『北欧空戦史』あたりは、まずまずであるが、読み物的なものを含めて、ほとんど日本では無視されているテーマではある。

*1:リデル・ハート 『第二次世界大戦』 中央公論新社 1999年10月7日 P481

*2:リデル・ハート 『第二次世界大戦』 中央公論新社 1999年10月7日 P481

*3:リデル・ハート 『第二次世界大戦』 中央公論新社 1999年10月7日 P481

*4:リデル・ハート 『第二次世界大戦』 中央公論新社 1999年10月7日 P484-485

*5:リデル・ハート 『第二次世界大戦』 中央公論新社 1999年10月7日 P485

*6:原爆投下後

*7:吉田裕 『アジア・太平洋戦争』 岩波新書 2007年9月5日 P215

*8:この点は『大東亜戦争全史』にも裏付けがある

*9:W・S・チャーチル 『第二次世界大戦4』 河出文庫 2007年6月30日 P436