ABCD包囲網考【4】・チャーチルの回顧

以前のブログでも取りあげているが、第二次世界大戦において、ウィンストン・チャーチルは連合国の一国であったイギリスの首相をつとめていた。彼の第二次世界大戦回顧録はノーベル文学者賞を受賞しており、記録文学の傑作とされている。今回は、そのチャーチル回顧録を出典として、連合国からの対日経済制裁の実体について探りたい。なお、以前は完全版が日本語訳で発行されていたのであるが、完全翻訳版は絶版になって久しいので、筆者が直接参照したのは、河出文庫によって出版されているダイジェスト版である。但し、これも著者自身がダイジェストしたものを日本語訳したものである。
チャーチルは日本のフランス領インドシナ進駐に対する。1941年7月の対日経済制裁について以下のように述べている。

合衆国におけるすべての日本の資産を凍結させるという行政命令が発行された。これによってすべての貿易が停滞した。イギリスも同時に行動を取り、二日後にはオランダがこれにならった。オランダの加盟によって、日本は絶対に必要な石油供給を一気に断たれることになった。*1

アメリカの日本への経済制裁と同時にイギリスは行動を取り、オランダも歩調を合わせて日本に対して経済制裁を行ったと書いているのである。また、これらの経済措置により、日本は近代国家における生命線であった石油供給を一気に断たれたという点にも明確に言及している。
さらに、これらの経済制裁に先だって、英米両政府は対日政策について緊密に連携を取っていたとも述べている。

すでに数か月間、英米両政府は緊密な連繋のもとに日本に対して行動していた。*2

チャーチルは、アメリカ、イギリス、オランダの対日経済制裁は連動して行われたものであると書いているし、1941年の対日政策において、アメリカ、イギリス両政府は連携をとっていると明白に述べているのである。せめて、有名なこの本程度でも読んでいれば、ABCD国に相互の協力はなかった、オランダは経済制裁に参加していなかったというような誤断にはたどり着かないであろう。

*1:W・S・チャーチル 『第二次世界大戦』 河出文庫 2007年5月20日 P35

*2:W・S・チャーチル 『第二次世界大戦』 河出文庫 2007年5月20日 P35